はじめまして。
三重県立津西高校出身、商学部1年の前田和真です。
ポジションはピッチャーをやっています。
僕は小学校1年生から野球を始めました。
きっかけは、保育園からの幼なじみに誘われたからです。
もしあの時、野球に誘われていなかったら、僕はサッカーをしてもっと違う道に進んでいたと思います。
また、僕が慶應義塾大学を目指し始めたのは、中学3年生です。
高校の進路で迷っている時に、当時の監督に、「大学まで野球を続けたらどうや」と言ってもらいました。
そこで秋の早慶戦を観戦し、慶應のプレーや応援、また、早慶戦という独特の雰囲気に感動し、慶應で野球がしたいと強く思いました。
それから野球にしっかり取り組み、慶應義塾大学も狙える津西高校に進学し、無事指定校推薦で合格することができました。
大学に入学して、3ヶ月が経ちました。
中学生の時からの憧れである、慶應義塾大学に入学し、野球と勉学の文武両道に励むことができ、とても充実した日々を過ごせています。
さらに、素晴らしい先輩や同期にも恵まれて、本当に幸せに感じます。
しかし、入学しただけで満足していてはいけません。慶應のユニフォームを着て早慶戦でプレーするために慶應に入学したのです。
この4年間、全力で取り組み、小中高の監督、コーチ、津西高校の仲間、今までずっと見守ってくれた両親に最高の恩返しができるよう、日々精進していきます。
応援よろしくお願いします。
「俺の”バカンス”」
皆さんは今年の夏はどのようにお過ごしになるのでしょうか。
夏といえば、花火や祭り、海などイベントがたくさんあります。僕は、今年の夏に伊豆の海に行く予定です。
青空のもと一日中、海を満喫し、全身を真っ黒に焼いてきます!
海が似合う男になれるよう頑張ります!
みなさんも素晴らしい夏をお過ごし下さい!!
(1年・投手・前田和真/津西高校出身)
どうも、慶應義塾大学商学部1年山本燦です。
慶應義塾高校出身で、ポジションは外野手です。
この度は、野球を始めた時から現在に至るまでを簡単に自己紹介したいと思います。
兄が野球をやっていた影響もあり、幼稚園の年長の頃には自然と野球を始めていました。
小学校の野球チームでも何となく6年間プレーし、中学になり東京和泉(いずみ)シニアに入りました。横浜泉シニアとは違い無名のチームです笑
しかし、その和泉シニアに入ったことで幸運が幸運を呼び、シニアの日本代表であるUSSSAに選出されることができました。
高校にはその様な実績を残せたので慶應義塾高校に入学でき、現在に至ります。無名のチームと言いましたが、東京和泉シニアにはとても感謝しています。
高校ではあまり奮闘させてもらえなかったので、神宮でプレーして見返してやります。
高校では甲子園優勝を目指して頑張っていたのですが、それが叶わなくなってしまった今、大学日本一を目指し頑張っていきたいと思います。応援よろしくお願いします。
「俺の◯◯」
どんなことを書けばいいのかいまいち良く分からないので、僕の大好きなボウリングの話でもしたいと思います。僕は今までずっとストレート(真っ直ぐのボール)しか投げていませんでした。というか、投げられませんでした。そのため、あまり安定せず、スコアもあまり伸びませんでした。
しかし、ある日高校の友達と行ったボウリングで、友達にカーブの投げ方を伝授してもらい、ボウリングに対する見方が180°いや、270°変わりました。
自分のカーブの曲がり、回転、そのレーンのコンディション(滑り具合)、ボールの重さ。それらを計算しつくして初めてハイスコアが生まれる。ストレート時代の僕はそんなこと考えもしませんでした。
ボールを転がして10本のピンを倒す遊び、いやスポーツにこれほどの奥深さがあることに感銘を受けたのを今でも覚えています。
これを書いていると今すぐにでもボウリングに行きたくなってしまう深夜1時15分なので、この辺で終わりたいと思います。
くだらない話にお付き合いしていただき有難うございました!
(1年・外野手・山本燦/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
文学部1年の多賀雅也です。
埼玉県の本庄第一高等学校出身、ポジションは内野手です。
私は小学5年から中学2年の夏までの間イタリアに住んでいた、いわゆる帰国子女です。野球は小学2年の冬に始めましたが、イタリア在住期間は野球をやらず、日本に帰国後また野球を始めました。このことをチームメイトや先輩に言うと、野球をやっていなかったことよりもサッカーをやらなかったことに驚かれます。ちなみに、サッカーは幼稚園の頃やっていましたが、サッカーボールを失くして親に怒られてしまった記憶しかありません……
正直なところ、イタリアに行っていて野球ができなかった期間を恨めしく思うことも多々ありました。しかし、英語とイタリア語を喋れるようになったこともそうですが、イタリアで出会った友人が慶應を目指すきっかけとなったことを考えると、イタリアに行っていたからこそ今の自分があるのだと心の底から思えます。
また慶應を目指す中で、英語以外は模試で偏差値30を下回るような科目もあった私を、見捨てる事なく可能性を信じて合格までの道程を最後までサポートしてくださった方々や、受験期には切磋琢磨し合い、今では「たがまさ!」と言って応援してくれる多くの友人達に出会えました。一生大切にしていきたいと思える友人達に出会えたのも、やはり、イタリアに行っていたからこそです。
高校時代よりも更に多くの人が私を応援してくれている今、私が掲げる目標は「神宮で活躍する!」です。そして、早稲田大学出身の(実はとっっっっても生徒思いで優しいが、高3の夏の大会を迎えるまではこの世で1番と言っても過言ではないくらい怖い)高校時代の監督には、早慶戦の舞台で慶應を応援していただくとともに、ペルー遠征で肩を組みながら披露してくださったあの美声で「紺碧の空」ではなく「若き血」を歌っていただきたいと思います!
応援よろしくお願いいたします!!
「俺の相棒」
私が紹介するのは、泉名翔大郎(写真左・1年・捕手/慶應志木高校出身)です。
彼は神宮でプレーする選手達を支える裏方として、勝利に貢献しました。秋のリーグ戦ではその技術を更に向上させて、春はあと1歩のところで逃してしまった優勝に貢献してくれるでしょう。
彼の名前を私の携帯で入力する際は「いずみ なまえ」と打って「前」を削除しなくてはいけないため「大変だな…」と感じる時もありますが、先輩からも「漢気のある誠実でいいやつだ」と言われるほど顔も性格もイケメンです!
以上、「俺の◯◯」でした!
(1年・内野手・多賀雅也/本庄一高校出身)