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はじめまして。

総合政策学部1年の植田清太です。

慶應義塾高等学校出身、ポジションは内野手です。

 

私が慶應に入学するきっかけになったのは、両親の勧めというのもありましたが、私の従兄弟の植田忠尚さん(H25卒OB)の影響が一番強かったです。

私が中学2年の時、植田忠尚さんは慶應義塾高等学校3年で野球部主将を務めており、春には甲子園出場を果たしました。私はその甲子園での試合を見た時、衝撃を受けました。

圧倒的な応援人数、アルプスの団結力、若き血、ダッシュKEIO、他の高校とは比べものにならない大声援に心を動かされたあの時の事を、私は今でもはっきりと覚えています。

これがきっかけとなり「慶應で野球がやりたい」という気持ちが芽生えました。

 

少し地元の話をすると、私は大阪出身で中学は奈良の生駒ボーイズクラブに所属していました。中学3年時には主将を務めさせていただき、最後の夏の大会では全国制覇を成し遂げる事が出来ました。

 

その中学の功績もあり、私は慶應義塾高等学校に推薦入学する事が出来ました。

私を快く慶應に入学させてくれた両親には本当に頭が上がりません。

その両親や今まで私に携わってきた方々に恩返しするために、甲子園に出場し活躍すると決意しましたが、それは成し遂げられませんでした。

 

高校では恩返しする事が出来なかったので、大学では必ず恩返しをする、その強い気持ちを持ち続け今は練習に励んでいます。

 

両親をはじめ、たくさんの方々の支えがあって今ここで野球ができているという事を忘れず、感謝の気持ちを持ち続け日々努力します。そして必ず神宮という最高の舞台で活躍し、両親、支えて下さった方々に喜んでもらえるよう頑張ります。

応援よろしくお願いします!

 

20.全国制覇達成!! 植田

「俺の中学時代」

僕は大阪府大東市出身なのですが、中学は奈良の生駒ボーイズクラブというチームに所属していました。

この3年間は僕の人生においてとても大事な3年間でした。ほぼ毎日練習で死ぬほど練習していて、とても辛くて苦しかったです。

しかし負けずにくらいつき、努力し練習しました。

 

その練習の成果が出たのか、中学3年の最後の夏の大会で見事全国制覇を成し遂げる事ができました。最高でした!「練習は裏切らない」とはこの事だと思いました。僕はこのチームで最高の指導者と最高の仲間に巡り会え、そして優勝出来たことに誇りを持っています。

この3年間があるからこそ今の自分があります。

生駒ボーイズクラブで野球ができて良かったです。

 

(1年・内野手・植田清太/慶應義塾高校出身)

はじめまして。

三重県立津西高校出身、商学部1年の前田和真です。

ポジションはピッチャーをやっています。

 

僕は小学校1年生から野球を始めました。

きっかけは、保育園からの幼なじみに誘われたからです。

もしあの時、野球に誘われていなかったら、僕はサッカーをしてもっと違う道に進んでいたと思います。

 

また、僕が慶應義塾大学を目指し始めたのは、中学3年生です。

高校の進路で迷っている時に、当時の監督に、「大学まで野球を続けたらどうや」と言ってもらいました。

そこで秋の早慶戦を観戦し、慶應のプレーや応援、また、早慶戦という独特の雰囲気に感動し、慶應で野球がしたいと強く思いました。

それから野球にしっかり取り組み、慶應義塾大学も狙える津西高校に進学し、無事指定校推薦で合格することができました。

 

大学に入学して、3ヶ月が経ちました。
中学生の時からの憧れである、慶應義塾大学に入学し、野球と勉学の文武両道に励むことができ、とても充実した日々を過ごせています。
さらに、素晴らしい先輩や同期にも恵まれて、本当に幸せに感じます。
しかし、入学しただけで満足していてはいけません。慶應のユニフォームを着て早慶戦でプレーするために慶應に入学したのです。

 

この4年間、全力で取り組み、小中高の監督、コーチ、津西高校の仲間、今までずっと見守ってくれた両親に最高の恩返しができるよう、日々精進していきます。
応援よろしくお願いします。

 

 

11.俺の”バカンス” 前田

「俺の”バカンス”」

 

皆さんは今年の夏はどのようにお過ごしになるのでしょうか。
夏といえば、花火や祭り、海などイベントがたくさんあります。僕は、今年の夏に伊豆の海に行く予定です。
青空のもと一日中、海を満喫し、全身を真っ黒に焼いてきます!
海が似合う男になれるよう頑張ります!
みなさんも素晴らしい夏をお過ごし下さい!!


(1年・投手・前田和真/津西高校出身)

どうも、慶應義塾大学商学部1年山本燦です。

慶應義塾高校出身で、ポジションは外野手です。

 

この度は、野球を始めた時から現在に至るまでを簡単に自己紹介したいと思います。

 

兄が野球をやっていた影響もあり、幼稚園の年長の頃には自然と野球を始めていました。

小学校の野球チームでも何となく6年間プレーし、中学になり東京和泉(いずみ)シニアに入りました。横浜泉シニアとは違い無名のチームです笑

しかし、その和泉シニアに入ったことで幸運が幸運を呼び、シニアの日本代表であるUSSSAに選出されることができました。

 

高校にはその様な実績を残せたので慶應義塾高校に入学でき、現在に至ります。無名のチームと言いましたが、東京和泉シニアにはとても感謝しています。

高校ではあまり奮闘させてもらえなかったので、神宮でプレーして見返してやります。

 

高校では甲子園優勝を目指して頑張っていたのですが、それが叶わなくなってしまった今、大学日本一を目指し頑張っていきたいと思います。応援よろしくお願いします。

 

「俺の◯◯」

37.俺を熱くさせるもの 山本燦

どんなことを書けばいいのかいまいち良く分からないので、僕の大好きなボウリングの話でもしたいと思います。僕は今までずっとストレート(真っ直ぐのボール)しか投げていませんでした。というか、投げられませんでした。そのため、あまり安定せず、スコアもあまり伸びませんでした。

しかし、ある日高校の友達と行ったボウリングで、友達にカーブの投げ方を伝授してもらい、ボウリングに対する見方が180°いや、270°変わりました。

 

自分のカーブの曲がり、回転、そのレーンのコンディション(滑り具合)、ボールの重さ。それらを計算しつくして初めてハイスコアが生まれる。ストレート時代の僕はそんなこと考えもしませんでした。

ボールを転がして10本のピンを倒す遊び、いやスポーツにこれほどの奥深さがあることに感銘を受けたのを今でも覚えています。

 

これを書いていると今すぐにでもボウリングに行きたくなってしまう深夜1時15分なので、この辺で終わりたいと思います。

くだらない話にお付き合いしていただき有難うございました!

 

(1年・外野手・山本燦/慶應義塾高校出身)