東京六大学野球を応援する公式Webコンテンツ TOKYOROCKS!2015

はじめまして。

文学部1年の多賀雅也です。

埼玉県の本庄第一高等学校出身、ポジションは内野手です。

 

私は小学5年から中学2年の夏までの間イタリアに住んでいた、いわゆる帰国子女です。野球は小学2年の冬に始めましたが、イタリア在住期間は野球をやらず、日本に帰国後また野球を始めました。このことをチームメイトや先輩に言うと、野球をやっていなかったことよりもサッカーをやらなかったことに驚かれます。ちなみに、サッカーは幼稚園の頃やっていましたが、サッカーボールを失くして親に怒られてしまった記憶しかありません……

 

正直なところ、イタリアに行っていて野球ができなかった期間を恨めしく思うことも多々ありました。しかし、英語とイタリア語を喋れるようになったこともそうですが、イタリアで出会った友人が慶應を目指すきっかけとなったことを考えると、イタリアに行っていたからこそ今の自分があるのだと心の底から思えます。

 

また慶應を目指す中で、英語以外は模試で偏差値30を下回るような科目もあった私を、見捨てる事なく可能性を信じて合格までの道程を最後までサポートしてくださった方々や、受験期には切磋琢磨し合い、今では「たがまさ!」と言って応援してくれる多くの友人達に出会えました。一生大切にしていきたいと思える友人達に出会えたのも、やはり、イタリアに行っていたからこそです。

 

高校時代よりも更に多くの人が私を応援してくれている今、私が掲げる目標は「神宮で活躍する!」です。そして、早稲田大学出身の(実はとっっっっても生徒思いで優しいが、高3の夏の大会を迎えるまではこの世で1番と言っても過言ではないくらい怖い)高校時代の監督には、早慶戦の舞台で慶應を応援していただくとともに、ペルー遠征で肩を組みながら披露してくださったあの美声で「紺碧の空」ではなく「若き血」を歌っていただきたいと思います!

 

応援よろしくお願いいたします!!

 

25.あ〜〜〜ん♡ 多賀

 

「俺の相棒」

私が紹介するのは、泉名翔大郎(写真左・1年・捕手/慶應志木高校出身)です。

 

彼は神宮でプレーする選手達を支える裏方として、勝利に貢献しました。秋のリーグ戦ではその技術を更に向上させて、春はあと1歩のところで逃してしまった優勝に貢献してくれるでしょう。

 

彼の名前を私の携帯で入力する際は「いずみ なまえ」と打って「前」を削除しなくてはいけないため「大変だな…」と感じる時もありますが、先輩からも「漢気のある誠実でいいやつだ」と言われるほど顔も性格もイケメンです!

 

以上、「俺の◯◯」でした!

 

(1年・内野手・多賀雅也/本庄一高校出身)

はじめまして。

環境情報学部1年の田中裕貴です。

芝高校出身でポジションはピッチャーです。

 

僕が大学でも野球を続けようと決めたのは、高校野球を引退してからです。

正直、高校野球をやっている時は、野球は高校までで終わりで、大学に入ったら自分がやったことのない新しいことをやってみようと考えていました。

しかし、いざ引退して受験勉強に追われる日々が始まると、毎日が物足りなく、自分から野球をとったら何も残らないことに気がつきました。

 

現役時代はあまり練習が好きではなかったのに、引退してしまうと野球がしたくて仕方がありませんでした。そんな時に、高校の野球部の監督に六大学野球を見に行ってはどうか、と言われました。そして見に行った秋の早慶戦。

これだけの大観衆の中で野球ができるのかと感激し、大学で野球を続けることを決めました。

 

高校時代の約6倍の部員数の中での熾烈なメンバー争いは、毎日が新鮮でとても充実しています。今までお世話になった方々にプレーで恩返しできるよう、精一杯頑張ります。

応援よろしくお願いいたします。

 

8.俺のマウンド 田中

「俺のマウンド」

 

僕の卒業した芝高校は、東京タワーの真下にあります。

都会のど真ん中にあるため、広い土地はなく、グラウンドは土ではなく陸上のタータンのようなゴムでできています。

そのためピッチング練習の際は跳び箱板のようなお手製の木の板を持ってきてその上から投げていました。

慶大野球部に入り、土のマウンドで投げられることはとても嬉しいのですが、木のマウンドがとても懐かしいです。

 

(1年・投手・田中裕貴/芝高校出身)

はじめまして。

法学部法律学科1年の渡辺悠太郎です。

埼玉県の慶應志木高校の出身で、ポジションは内野手です。

 

僕は小学校1年生から野球を続けてきているのですが、これまで強豪といわれるような強いチームの中では野球をしてきませんでした。しかし、この慶應義塾大学の野球部は、今まで僕が経験してきた野球チームの中で最も人数が多く、僕よりも能力の高い選手がたくさんいます。その中で試合に出ることは、とても難しいことだと思います。

 

これからの4年間で、高いレベルにもまれ、強く成長し、神宮の舞台に立てるような選手へと変わっていきたいと思います。下から這い上がる、下剋上魂で頑張ります。

 

 

30.俺の心のよりどころ 渡辺悠太郎

 

「俺の心のよりどころ」

 

このボールは、志木高野球部の特に仲のいい2人から、大学野球部に入る前日に「頑張れよ」と渡されたボールです。

つらくなった時や、妥協しそうになった時、このボールを見て僕にも期待してくれる人がいるのだと、勇気づけてもらっています。

恩返しできるように、必ず結果を残します!

 

(1年・内野手・渡辺悠太郎/慶應志木高校出身)