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はじめまして。

総合政策学部1年の河合大樹です。

兵庫県の関西学院高校出身、ポジションは外野手です。

 

野球を始めたのは小学校3年生のときに、学校の友だちに誘われたのがきっかけです。中学校では軟式野球部に所属していました。高校では主将を務めさせていただき、最後の夏は、県ベスト4まで勝ち進みましたが準決勝で延長戦の末、敗退しました。正直、本気になって取り組む野球は辞めて、大学もそのまま関西学院大学に入学しようと考えていました。

 

しかし、高校の先生の勧めや高校野球での悔しさ、自分はまだ成長できるのではないかという思いがまだあったので、慶應義塾大学に入学し、野球を続けようと考えました。レベルの高い環境の中で自分自身を高めていきたいと思いますし、リーグ戦優勝・大学日本一を達成するための力になりたいと思います。

 

つづいて、「俺の母校の野球部」について紹介したいと思います。

35.高校時代のチームメイト 河合

関西学院高校の野球部は、ここ最近は毎年150人前後の大所帯となっています。僕たちの代の3年生は56人いました。グラウンドはアメリカンフットボール部(日本一)と共有しており、練習時間も少ないので、満足な環境は整っていなかったと思います。しかし、その環境のおかげで集中力が高まり、チームや自分には何が必要なのかをしっかりと考えて練習することが出来ていたと思います。

 

また、大会中は多くのサポートがあったので、ベスト4まで勝ち進めたのだと思います。そして、僕が最後まで主将を務められたのも皆のおかげです。また、後輩たちには人数の多さを力に変えて、甲子園の舞台を掴み取ってほしいです。そして是非、慶應義塾大学を目指してほしいと思います。

 

慶應義塾体育会野球部という場所にいられるのは、両親をはじめ、たくさんの人々の支えがあるおかげなので、日々感謝して過ごしています。その人たちに活躍する姿を少しでも早く見せたいと思います。応援よろしくお願いします。

 

(1年・外野手・河合大樹/関西学院高校出身)

はじめまして。

法学部政治学科1年の井上圭です。

埼玉県の慶應義塾志木高校出身で、ポジションは内野手です。

 

僕は小学3年生までサッカーをしていましたが、気づいたら野球を始めていました。要するに野球を始めたきっかけはあまり覚えていません。笑

 

小学5年生頃になると親の影響もあり、既に慶應義塾高校と、慶應義塾大学の野球部を強く意識していました。そしてそのモチベーションで地元の公立中学で血の滲むような猛勉強を重ねたものの、見事に神奈川の名門・慶應義塾高校には進学することができませんでした。今思い返してみても、何がいけなかったんだか...やはり苦手な数学が足を引っ張ったのだろうか...そんな思いと共に、シニアリーグで同期だった春日井(1年・外野手/慶應義塾高校出身)にちょっとした嫉妬を抱きつつ、埼玉の密林こと慶應志木高校に進学しました。

 

中学で敵わなかったライバル達を相手にジャイアントキリングを起こそうと自分に言い聞かせ、毎朝5:30発の電車に揺られ、懸命に練習しました。その結果、最後の夏の大会では例年以上に勝ち進むことに成功しました。

 

そして現在は目標であった塾野球部に入ることができ、毎日が充実していて僕は幸せ者だと感じています。周りのレベルは僕の野球人生の中では断トツで高いですが、今ある初心を忘れず神宮でプレーすることを目標に日々努力していきます。応援、よろしくお願い致します。

 

19.高3夏の大会でバントを試みる私 井上

僕が誇れるものを手当たり次第探した結果、「俺のプレースタイル」しか見当たりませんでした。

高校1年生の冬でした。監督から「お前、振らない方がいいんじゃねーの?」と言われ、僕の高校野球は想像とはまったく逆方向に進んでいきました。それからというもの、毎回の試合の9割9分の打席でバント、バント、バント。ひどい時には相手校の監督が「サード!!こいつはバントしかねーんだからもっと前だよ!」と選手に怒っているほどでした。因みにその試合では5打席で4つのセーフティバントを決めました笑。志木高の同期に「スーパースモールベースボール」と煽られることもしばしばです。

 

しかし、3年間で野球の新たな可能性を見出したような気がします。そんな僕なので今は打撃練習に苦戦していますが、いつかは先輩方のような強い打撃ができるようにします。神宮球場で持ち味を使って暴れられるように頑張りますので、応援の程、よろしくお願い致します。

 

(1年・内野手・井上圭/慶應志木高校出身)

はじめまして!

商学部1年の石﨑経浩です。

広島県立祇園北高校出身の捕手です。

 

僕は一年間の自宅浪人生活を経て、慶應義塾大学に入学しました。自宅浪人は人と話す機会がほぼなく本当につらく、第一志望であった東京の某国立大学には受かりませんでしたが、僕なりに妥協せず頑張り、いろんな人に支えられたあの一年間は今となっては宝物です。

 

ここからは僕が慶應で野球部に入ったきっかけを話したいと思います。

思い当たるきっかけは3つあります。

1つはもともと小さいころから慶應で野球をやりたいなーと思っていたことで、2つ目は、高校最後の夏の大会の時にマツダスタジアムで広陵高校と大観衆の中試合をし、もう一度あんな大観衆の中試合をしたいと思ったことです。負けはしましたが、純粋にチーム一丸となり試合ができたことが本当に楽しかったです。3つ目は、高校3年時の監督が僕の背中を押してくれたことです。監督がいなければ勇気が出ず、一歩がふみ出せなかったかもしれません。

 

たくさんの人のおかげで、僕は今こうして慶應で野球ができています。まだまだ実戦感覚は戻りませんが神宮で活躍する姿を見せることでお世話になった人に恩返しをしようと思います。そのための努力は惜しまないのでこれからよろしくお願いします。

 

13.母校の写真 石﨑

「俺の高校自慢」

 

僕の母校、祇園北高校はとても校則が厳しく、坊主の野球部でも頭髪検査に引っかかるほどです。さらに、先生によっては爪の検査で爪の白い部分が出ていればアウトというように、出していけばきりがないほどこのような厳しいストーリーはいっぱいあります。ここで終わればただ校則の厳しいつまらない学校というだけです。(僕も高校時代はそう思っていましたが…。)

 

ですが、祇園北には誇れるものが少ないですがあります。それは、超有名人の出身校ということです。その有名人とは、あの大女優の綾瀬はるかさんです。ここでは書きませんが、綾瀬はるかさんの高校時代の様子などいろいろ聞くことができました。途中から、堀越学園に転校してしまいましたが、同じ学校で三年間を過ごせたことが僕は本当にうれしいです。

そして僕も、綾瀬はるかさんほどのBIGな人にはなれないかもしれませんが、それに少しでも近づけるように、そして神宮という舞台で活躍できるように人一倍頑張っていきます。

 

(1年・捕手・石﨑経浩/祇園北高校出身)