東京六大学野球を応援する公式Webコンテンツ TOKYOROCKS!2015

 

私の大学野球
月日が経つのは早いもので、先月から始まった秋季リーグ戦も今週末は第7週を迎え、現役最終カード(10/24,25 vs明治大学)を迎えております。このカードで勝ち点を取ることこそが、今まで応援してくださった全ての方々や、3年生以下にできる最後の“恩返し”です。
引き続き、今週末も全力で戦わせて頂きますのでご声援を宜しくお願い致します。
さて、私事ではございますが、あと数日を残し引退となった今、せっかくのこの機会に4年間の野球部での生活、そしてマネージャーとしての生活を振り返ってみたいと思います。
私の思うままに表現した乱文ではございますが、何卒御一読いただき何かを感じて頂ければと思います。
『選手ではなくて、マネージャーとしての入部』
高校時代、腰のケガに悩まされ、最後の夏の大会にベンチから外れてしまったこと。
そして、準硬式野球部の練習会時に、同大学準硬式野球部の佐藤裕太(現・主務)に言われた「せっかく硬式でできるチャンスがあるなら、第一線で野球やれよ。俺は硬式でやりたくてもできないんだよ。」というさりげない一言。
そして何より、マネージャーとしての入部を快く受け入れて頂いた金光興二元監督のおかげで、私の野球部マネージャー生活はスタートしました。
『誰よりも耐え  誰よりも努力する』
マネージャー室に掲げられているこの色紙の言葉を愚直に信じ、4年間を突っ走ってきました。
1年生のマネージャーは朝一番に「マネージャー室」に出勤し、仕事内容としては、掃除や洗濯・電話当番・もしものとき(怪我や事故等)のためにグラウンドで待機するなど、小学生でもできる業務を毎日行い、明日の準備、施錠を済ませ、一番最後に1日の業務を終えます。毎朝4時すぎに起床し、日が変わったころに業務を終え就寝。睡眠時間が3~4時間の毎日であったことが今となってはとても懐かしく感じます。
だからこそ毎年、後輩のマネージャーには本当に感謝し尊敬しています。下級生のマネージャーの存在は、全く目立ちません。しかし、その若さやバイタリティ、仕事量こそが野球部の運営を支えています。(4年生になった私は、ものごとの判断と指示を出しているだけなので…)
そのような上からの指示に対して、「はい!かしこまりました。」の二つ返事。嫌な顔をせず毎日毎日、野球部のために、4年生のために仕事を全うしてくれている彼らこそ、「真の縁の下の力持ち」です。
『4年間で3人の監督と野球ができ、支えられて…』
監督が代わるごとに「勝負の世界は過酷」であるということ、そして監督業の「孤独さ」をつくづく感じさせられました。学生に心配をかけまいと、一切顔には出さなかったものの背負っているものの大きさは想像すらできません。監督の使命が、「チームの勝利」と「選手・学生の育成」という二つであれば、そのバランスを保つことや両立させることは至難の業であり、改めて監督の素晴らしさに気付くことができます。
しかし、過去にいくら実績を残しても、「今」結果を残さなければ結局のところ全責任が監督のもとへ向かいます。その姿を間近で感じることで、社会の厳しさというものもこの4年間で目の当たりにしました。
入部時から1年間ご指導いただいた“金光興二元監督〟をはじめ、2・3年次にご指導頂いた〝神長英一前監督〟、そして4年次にご指導頂いた〝青木久典現監督〟には、「野球人」としてではなく、「学生として、社会人」としての生き方や考え方を学ばせて頂きました。
グラウンド内だけではなく、私生活の面も含めて「人間性」を鍛え上げて頂いたことに、語り切れないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。
『支えられ、支えてきた』
マネージャーとして学年が上がるにつれて、「小学生でもできる業務」から少しずつ業務のレベルや責任も増してきました。今では「主務兼連盟チーフ」という肩書まで頂くことができました。
結成90周年東京六大学野球連盟の連盟チーフ、そして創部100周年法政大学野球部主務として、数えきれないくらい多くの方々に助けられ、支えられてこれまでの生活を送ることができました。
入部当初から、この年この日が来るということを分かってはいましたが、「本当に私で良いのだろうか」という不安もありました。そんな私をいつも支えてくれたのが、〝他5大学野球部主務〟の存在です。私一人では何もできませんでしたが、支えられて切磋琢磨することができたからこそ、「東京六大学野球連盟」・「法政大学野球部」を私は支えることができ、継承することができたと思います。
下級生の頃に、「この仕事は・私の存在は、本当に意味があるのか」と考え悩んだ時期もありました。しかし、今となっては「積小為大」という四字熟語の意味も、浅田祐太朗主務(H25年度卒・法政二高)に幾度となく激怒された意味も、身を持って理解できます。
『一生の財産』
様々なスポーツや遊びがあり、自由なキャンパスライフを送れる大学生が、「野球」というスポーツを選んだことで、私たちは様々な選択肢を犠牲にしてきたかもしれません。「野球」だけの世界で生きてきたことで、視野が狭くなっているかもしれません。しかし、私たちは優勝こそは出来なかったものの、一つの目標をみんなで目指し、共に戦った33名の仲間は、この上ない、声を大にして誇れる「一生の財産」です。
どの大学野球部よりも、私はこの「法政大学野球部100期生」の主務で良かったと心から感じています。
『マネージャーという存在』
現在3年生以下の〝マネージャー〟は見えない水面下で全力でチームの為に貢献しています。私がこの1年間を乗り越えることができたのも、この後輩たちの支えがあったからです。そして、このブログをいつも管理し、アップしてくれているのも3年の女子マネージャーです。
私がマネージャーとして入部したいと決めたときは、『よく自ら進んで「お手伝いさん」や「雑用係」をやるよな。やめときなよ。』という言葉をよく掛けて頂きました。冷静に考えてみれば、まさにその通りです。実際に私も、辞めたくなる時もたくさんありました。たくさん悩みました。しかし、たくさんの方々や機会に恵まれ、気付いたらここまでくることができました。4年間マネージャーを続けさせて頂いた私は、本当に幸せ者だなと実感しています。
マネージャーは選手のように陽が当たることもなければ、数字で見える結果として評価されることもありません。しかし、優勝という結果を愚直に信じ、選手や組織が本当に望む姿を実現することにマネージャーは全うしています。
「仕事ができて当たりまえ」の環境に常に身を置くことで、「目配り•気配り•心配り」の精神が無意識のうちに「習慣」となっていることがマネージャーとしての強みであると思います。
最後に、私は現在3年生以下の〝マネージャー〟とチームのますますの成長に期待しています。監督やチームを支え、OBや応援団など応援していただいている方々との連携を取り、今年度成し得なかったリーグ優勝・そしてその先の日本一を必ず勝ち取ってもらいたいと思います。
今後とも引き続き、法政大学野球部に対する多大なるご声援の程宜しくお願い致します。

私の大学野球

 

こんにちは!法政二高出身 主務の今村健太郎です。

 

月日が経つのは早いもので、先月から始まった秋季リーグ戦も今週末は第7週を迎え、現役最終カード(10/24,25 vs明治大学)を迎えております。このカードで勝ち点を取ることこそが、今まで応援してくださった全ての方々や、3年生以下にできる最後の“恩返し”です。

引き続き、今週末も全力で戦わせて頂きますのでご声援を宜しくお願い致します。

 

さて、私事ではございますが、あと数日を残し引退となった今、せっかくのこの機会に4年間の野球部での生活、そしてマネージャーとしての生活を振り返ってみたいと思います。

私の思うままに表現した乱文ではございますが、何卒御一読いただき何かを感じて頂ければと思います。

 

 

『選手ではなくて、マネージャーとしての入部』

 

高校時代、腰のケガに悩まされ、最後の夏の大会にベンチから外れてしまったこと。

そして、準硬式野球部の練習会時に、同大学準硬式野球部の佐藤裕太(現・主務)に言われた「せっかく硬式でできるチャンスがあるなら、第一線で野球やれよ。俺は硬式でやりたくてもできないんだよ。」というさりげない一言。

そして何より、マネージャーとしての入部を快く受け入れて頂いた金光興二元監督のおかげで、私の野球部マネージャー生活はスタートしました。

 

 

『誰よりも耐え  誰よりも努力する』

 

マネージャー室に掲げられているこの色紙の言葉を愚直に信じ、4年間を突っ走ってきました。

1年生のマネージャーは朝一番に「マネージャー室」に出勤し、仕事内容としては、掃除や洗濯・電話当番・もしものとき(怪我や事故等)のためにグラウンドで待機するなど、小学生でもできる業務を毎日行い、明日の準備、施錠を済ませ、一番最後に1日の業務を終えます。毎朝4時すぎに起床し、日が変わったころに業務を終え就寝。睡眠時間が3~4時間の毎日であったことが今となってはとても懐かしく感じます。

だからこそ毎年、後輩のマネージャーには本当に感謝し尊敬しています。下級生のマネージャーの存在は、全く目立ちません。しかし、その若さやバイタリティ、仕事量こそが野球部の運営を支えています。(4年生になった私は、ものごとの判断と指示を出しているだけなので…)

そのような上からの指示に対して、「はい!かしこまりました。」の二つ返事。嫌な顔をせず毎日毎日、野球部のために、4年生のために仕事を全うしてくれている彼らこそ、「真の縁の下の力持ち」です。

 

 

『4年間で3人の監督と野球ができ、支えられて…』

 

監督が代わるごとに「勝負の世界は過酷」であるということ、そして監督業の「孤独さ」をつくづく感じさせられました。学生に心配をかけまいと、一切顔には出さなかったものの背負っているものの大きさは想像すらできません。監督の使命が、「チームの勝利」と「選手・学生の育成」という二つであれば、そのバランスを保つことや両立させることは至難の業であり、改めて監督の素晴らしさに気付くことができます。

しかし、過去にいくら実績を残しても、「今」結果を残さなければ結局のところ全責任が監督のもとへ向かいます。その姿を間近で感じることで、社会の厳しさというものもこの4年間で目の当たりにしました。

入部時から1年間ご指導いただいた“金光興二元監督〟をはじめ、2・3年次にご指導頂いた〝神長英一前監督〟、そして4年次にご指導頂いた〝青木久典現監督〟には、「野球人」としてではなく、「学生として、社会人」としての生き方や考え方を学ばせて頂きました。

グラウンド内だけではなく、私生活の面も含めて「人間性」を鍛え上げて頂いたことに、語り切れないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

『支えられ、支えてきた』

 

マネージャーとして学年が上がるにつれて、「小学生でもできる業務」から少しずつ業務のレベルや責任も増してきました。今では「主務兼連盟チーフ」という肩書まで頂くことができました。

結成90周年東京六大学野球連盟の連盟チーフ、そして創部100周年法政大学野球部主務として、数えきれないくらい多くの方々に助けられ、支えられてこれまでの生活を送ることができました。

入部当初から、この年この日が来るということを分かってはいましたが、「本当に私で良いのだろうか」という不安もありました。そんな私をいつも支えてくれたのが、〝他5大学野球部主務〟の存在です。私一人では何もできませんでしたが、支えられて切磋琢磨することができたからこそ、「東京六大学野球連盟」・「法政大学野球部」を私は支えることができ、継承することができたと思います。

下級生の頃に、「この仕事は・私の存在は、本当に意味があるのか」と考え悩んだ時期もありました。しかし、今となっては「積小為大」という四字熟語の意味も、浅田祐太朗主務(H25年度卒・法政二高)に幾度となく激怒された意味も、身を持って理解できます。

 

 

『一生の財産』

 

様々なスポーツや遊びがあり、自由なキャンパスライフを送れる大学生が、「野球」というスポーツを選んだことで、私たちは様々な選択肢を犠牲にしてきたかもしれません。「野球」だけの世界で生きてきたことで、視野が狭くなっているかもしれません。しかし、私たちは優勝こそは出来なかったものの、一つの目標をみんなで目指し、共に戦った33名の仲間は、この上ない、声を大にして誇れる「一生の財産」です。

どの大学野球部よりも、私はこの「法政大学野球部100期生」の主務で良かったと心から感じています。

 

 

『マネージャーという存在』

 

現在3年生以下の〝マネージャー〟は見えない水面下で全力でチームの為に貢献しています。私がこの1年間を乗り越えることができたのも、この後輩たちの支えがあったからです。そして、このブログをいつも管理し、アップしてくれているのも3年の女子マネージャーです。

私がマネージャーとして入部したいと決めたときは、『よく自ら進んで「お手伝いさん」や「雑用係」をやるよな。やめときなよ。』という言葉をよく掛けて頂きました。冷静に考えてみれば、まさにその通りです。実際に私も、辞めたくなる時もたくさんありました。たくさん悩みました。しかし、たくさんの方々や機会に恵まれ、気付いたらここまでくることができました。4年間マネージャーを続けさせて頂いた私は、本当に幸せ者だなと実感しています。

マネージャーは選手のように陽が当たることもなければ、数字で見える結果として評価されることもありません。しかし、優勝という結果を愚直に信じ、選手や組織が本当に望む姿を実現することにマネージャーは全うしています。

「仕事ができて当たりまえ」の環境に常に身を置くことで、「目配り•気配り•心配り」の精神が無意識のうちに「習慣」となっていることがマネージャーとしての強みであると思います。

 

 

最後に、私は現在3年生以下の〝マネージャー〟とチームのますますの成長に期待しています。監督やチームを支え、OBや応援団など応援していただいている方々との連携を取り、今年度成し得なかったリーグ優勝・そしてその先の日本一を必ず勝ち取ってもらいたいと思います。

 

今後とも引き続き、法政大学野球部に対する多大なるご声援の程宜しくお願い致します。

 

 

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練習後の四年生
後列左から  川名・今村・宮坂・蔵桝・丸山・樋口・皆川・佐藤竜・浅野・兼子
前列左から  笠原・畔上