東京六大学野球を応援する公式Webコンテンツ TOKYOROCKS!2015

どうも、慶應義塾大学商学部1年山本燦です。

慶應義塾高校出身で、ポジションは外野手です。

 

この度は、野球を始めた時から現在に至るまでを簡単に自己紹介したいと思います。

 

兄が野球をやっていた影響もあり、幼稚園の年長の頃には自然と野球を始めていました。

小学校の野球チームでも何となく6年間プレーし、中学になり東京和泉(いずみ)シニアに入りました。横浜泉シニアとは違い無名のチームです笑

しかし、その和泉シニアに入ったことで幸運が幸運を呼び、シニアの日本代表であるUSSSAに選出されることができました。

 

高校にはその様な実績を残せたので慶應義塾高校に入学でき、現在に至ります。無名のチームと言いましたが、東京和泉シニアにはとても感謝しています。

高校ではあまり奮闘させてもらえなかったので、神宮でプレーして見返してやります。

 

高校では甲子園優勝を目指して頑張っていたのですが、それが叶わなくなってしまった今、大学日本一を目指し頑張っていきたいと思います。応援よろしくお願いします。

 

「俺の◯◯」

37.俺を熱くさせるもの 山本燦

どんなことを書けばいいのかいまいち良く分からないので、僕の大好きなボウリングの話でもしたいと思います。僕は今までずっとストレート(真っ直ぐのボール)しか投げていませんでした。というか、投げられませんでした。そのため、あまり安定せず、スコアもあまり伸びませんでした。

しかし、ある日高校の友達と行ったボウリングで、友達にカーブの投げ方を伝授してもらい、ボウリングに対する見方が180°いや、270°変わりました。

 

自分のカーブの曲がり、回転、そのレーンのコンディション(滑り具合)、ボールの重さ。それらを計算しつくして初めてハイスコアが生まれる。ストレート時代の僕はそんなこと考えもしませんでした。

ボールを転がして10本のピンを倒す遊び、いやスポーツにこれほどの奥深さがあることに感銘を受けたのを今でも覚えています。

 

これを書いていると今すぐにでもボウリングに行きたくなってしまう深夜1時15分なので、この辺で終わりたいと思います。

くだらない話にお付き合いしていただき有難うございました!

 

(1年・外野手・山本燦/慶應義塾高校出身)

はじめまして。

文学部1年の多賀雅也です。

埼玉県の本庄第一高等学校出身、ポジションは内野手です。

 

私は小学5年から中学2年の夏までの間イタリアに住んでいた、いわゆる帰国子女です。野球は小学2年の冬に始めましたが、イタリア在住期間は野球をやらず、日本に帰国後また野球を始めました。このことをチームメイトや先輩に言うと、野球をやっていなかったことよりもサッカーをやらなかったことに驚かれます。ちなみに、サッカーは幼稚園の頃やっていましたが、サッカーボールを失くして親に怒られてしまった記憶しかありません……

 

正直なところ、イタリアに行っていて野球ができなかった期間を恨めしく思うことも多々ありました。しかし、英語とイタリア語を喋れるようになったこともそうですが、イタリアで出会った友人が慶應を目指すきっかけとなったことを考えると、イタリアに行っていたからこそ今の自分があるのだと心の底から思えます。

 

また慶應を目指す中で、英語以外は模試で偏差値30を下回るような科目もあった私を、見捨てる事なく可能性を信じて合格までの道程を最後までサポートしてくださった方々や、受験期には切磋琢磨し合い、今では「たがまさ!」と言って応援してくれる多くの友人達に出会えました。一生大切にしていきたいと思える友人達に出会えたのも、やはり、イタリアに行っていたからこそです。

 

高校時代よりも更に多くの人が私を応援してくれている今、私が掲げる目標は「神宮で活躍する!」です。そして、早稲田大学出身の(実はとっっっっても生徒思いで優しいが、高3の夏の大会を迎えるまではこの世で1番と言っても過言ではないくらい怖い)高校時代の監督には、早慶戦の舞台で慶應を応援していただくとともに、ペルー遠征で肩を組みながら披露してくださったあの美声で「紺碧の空」ではなく「若き血」を歌っていただきたいと思います!

 

応援よろしくお願いいたします!!

 

25.あ〜〜〜ん♡ 多賀

 

「俺の相棒」

私が紹介するのは、泉名翔大郎(写真左・1年・捕手/慶應志木高校出身)です。

 

彼は神宮でプレーする選手達を支える裏方として、勝利に貢献しました。秋のリーグ戦ではその技術を更に向上させて、春はあと1歩のところで逃してしまった優勝に貢献してくれるでしょう。

 

彼の名前を私の携帯で入力する際は「いずみ なまえ」と打って「前」を削除しなくてはいけないため「大変だな…」と感じる時もありますが、先輩からも「漢気のある誠実でいいやつだ」と言われるほど顔も性格もイケメンです!

 

以上、「俺の◯◯」でした!

 

(1年・内野手・多賀雅也/本庄一高校出身)

はじめまして。

環境情報学部1年の田中裕貴です。

芝高校出身でポジションはピッチャーです。

 

僕が大学でも野球を続けようと決めたのは、高校野球を引退してからです。

正直、高校野球をやっている時は、野球は高校までで終わりで、大学に入ったら自分がやったことのない新しいことをやってみようと考えていました。

しかし、いざ引退して受験勉強に追われる日々が始まると、毎日が物足りなく、自分から野球をとったら何も残らないことに気がつきました。

 

現役時代はあまり練習が好きではなかったのに、引退してしまうと野球がしたくて仕方がありませんでした。そんな時に、高校の野球部の監督に六大学野球を見に行ってはどうか、と言われました。そして見に行った秋の早慶戦。

これだけの大観衆の中で野球ができるのかと感激し、大学で野球を続けることを決めました。

 

高校時代の約6倍の部員数の中での熾烈なメンバー争いは、毎日が新鮮でとても充実しています。今までお世話になった方々にプレーで恩返しできるよう、精一杯頑張ります。

応援よろしくお願いいたします。

 

8.俺のマウンド 田中

「俺のマウンド」

 

僕の卒業した芝高校は、東京タワーの真下にあります。

都会のど真ん中にあるため、広い土地はなく、グラウンドは土ではなく陸上のタータンのようなゴムでできています。

そのためピッチング練習の際は跳び箱板のようなお手製の木の板を持ってきてその上から投げていました。

慶大野球部に入り、土のマウンドで投げられることはとても嬉しいのですが、木のマウンドがとても懐かしいです。

 

(1年・投手・田中裕貴/芝高校出身)