はじめまして!
法学部政治学科1年、マネージャーの小林由佳です。
慶應女子高校出身です。
私は幼稚園から小学校まで器械体操一筋の人生を送ってきました。小学2年生の時、オリンピックで活躍する選手を輩出するクラブの門を叩き、研修生として、週6回の練習に励んでいました。周りのレベルに比べればたいしたことはありませんでしたが、私も小5の時には、全国小学生大会に出場することができました。
しかし、小6の夏の試合で、両腕を骨折し、手術しなければならないほどの大怪我を負ってしまいました。人生初の挫折です。半年以上のリハビリ生活を余儀なくされた私は、周りの選手の試合について回ったり、コーチの手伝いをしたりと、支える側としてチームのためにできることを精一杯やっていました。
今思えば、その経験が現在につながっているのかなと思います。
そんな体操少女だった私が、野球部のマネージャーをやろうと決断するきっかけとなったのが、昨年の夏のある試合でした。
もともと両親や弟の影響で野球観戦が好きだった私は、昨年の夏休みに友達と一緒に塾高野球部の神奈川大会の応援に行きました。0-2で迎えた9回表、1点を返し、なおも二死三塁。その時のバッターが、現在チームメイトの原田匠(1年・投手/慶應義塾高校出身)でした。
結果的には敗戦してしまいましたが、あの時の記憶は今でも鮮明に残っています。最後の一球まで諦めない姿、そして引退する選手たちの涙を間近で見て、大学に入ったら私も彼らのために何か役立つことがしたい、4年後優勝して選手の笑顔が見たいと強く思いました。
慶應野球部という素晴らしい環境の中でマネージャーをできることに感謝し、選手から信頼されるマネージャーになれるよう、日々、先輩方の背中を見て精進してまいります。
「私の宝物」
高2、高3の時にクラスの子から貰ったアルバムと寄せ書きです。私の高校には演劇会という珍しい行事があり、2年時にはクラス責任者を、3年時には実行委員長を務めていました。どんなに辛くて大変なことがあっても、クラスのみんなからのメッセージと演劇会のことを思い出せば自然と頑張ろうという気持ちになり、今は別々の場所で奮闘している同級生の活躍が私自身の活力となっています。
新入部員紹介は以上となります。少しでもチームの優勝に貢献できるように1年生一同努力してまいりますので、温かいご声援の程、宜しくお願い致します。
(1年・マネージャー・小林由佳/慶應女子高校出身)
はじめまして。
埼玉県慶應義塾志木高等学校出身、商学部1年大川慎太郎です。
ポジションは外野手です。
私は高校で野球はきっぱりとやめ、大学からは何か新しいことを始めようと漠然とした思いで引退後の夏休みを過ごしていました。野球に縛られない生活は非常に楽しく、気持ちがとても楽でした。しかし、野球を引退してから4か月くらい経つと遊ぶことに飽きてしまい、無我夢中で白球を追いかけていたころの達成感や充実感が味わえないことに気づきました。
私の周りでは引退してすぐに大学に向けて練習を始めていた菊地や衞藤、井上、泉名などがおり、「今さら大学で野球をやると言っても大丈夫だろうか?」と、焦りと心配をしながらも大学で野球をやる決心を致しました。
今、投手で4年生の加嶋宏毅さんが「志木高の星」として活躍されていますが、私も「志木高の星2号」を目指して、仲間とともに日々の練習に励んでいきたいと思っています。
「俺の地元」
私の出身は埼玉県北部にある北本市というところです。北本と聞いてピンとくる方はまずいないと思います。田舎過ぎず、と言っても都会でもない、とても住みやすいところだと思います。同じ野球部の伊藤佑馬の鳥取や、泉名翔大郎の深谷よりは田舎としてのインパクトはかなり薄いです。
そんな私の地元のプチ自慢は、全国から集まる六大学野球で、同じ慶應大学野球部に所属している「吉田将大」、立教大学野球部に所属している「黒沢康太」、早稲田大学野球部の「小島和哉」の3人と地元が同じで、少年野球のときから何度も対戦したことがあることです。
少年野球のときに戦った相手とまた大学で対決できる可能性があることを、とても嬉しく思っています。早稲田の小島に続いて試合に出られるように頑張りたいと思います。
(1年・外野手・大川慎太郎/慶應志木高校出身)
はじめまして。
環境情報学部1年の加藤雄士です。
三重県の四日市高校出身、ポジションは内野手です。
僕が慶應義塾に入りたいと思った最初のきっかけは祖父にあります。僕の祖父は慶應義塾大学でプレーしていた過去を持ち、そのため当時の思い出をよく聞かせてもらいました。そして自分の大学を熱く語っている祖父を眩しく思い、同時に慶應義塾大学に対して強いあこがれを抱きました。
慶應義塾に入る決心を僕にくれたのは、今も四日市高校で指揮をとっていらっしゃる横山勝規先生です。横山先生は入学当初から僕に指定校推薦で慶應義塾大学に入る道を示してくれました。努力不足で指定校で入ることはできませんでしたが、いつも僕の進路について真剣に聞いていただいたので、とても感謝しています。
今、僕が慶應義塾大学で生活出来ているのは両親のおかげです。高校で部活ができる2年半は勉強をしなくても文句を言わず、そして遅れた分を取り返すために塾に通うお金もただ黙って出し、そして受験を私立大学1本に絞るというわがままを承諾してくれたことが本当に嬉しかったです。そして支えてくださった人に恩を返すため努力を重ね、必ず神宮で試合に出場しチームの勝利に貢献します。
最後に「俺のネジ」について紹介しようと思います。
もちろんただのネジではありません。このネジは僕の大学受験の前に集中力持続の御守として家族からもらったものです。僕は周りからは当然落ちるだろうと思われるような成績であり、そんな僕が受かったのはこのネジがあったからだと思っています。そのためいつもリュックの中に入れ大事に持ち歩いています。またこのネジのおかげで先輩たちにも名前を覚えてもらっているので、その点でもこのネジには本当に感謝しています。
(1年・内野手・加藤雄士/四日市高校出身)