東京六大学野球を応援する公式Webコンテンツ TOKYOROCKS!2015

はじめまして。

法学部政治学科1年の井上圭です。

埼玉県の慶應義塾志木高校出身で、ポジションは内野手です。

 

僕は小学3年生までサッカーをしていましたが、気づいたら野球を始めていました。要するに野球を始めたきっかけはあまり覚えていません。笑

 

小学5年生頃になると親の影響もあり、既に慶應義塾高校と、慶應義塾大学の野球部を強く意識していました。そしてそのモチベーションで地元の公立中学で血の滲むような猛勉強を重ねたものの、見事に神奈川の名門・慶應義塾高校には進学することができませんでした。今思い返してみても、何がいけなかったんだか...やはり苦手な数学が足を引っ張ったのだろうか...そんな思いと共に、シニアリーグで同期だった春日井(1年・外野手/慶應義塾高校出身)にちょっとした嫉妬を抱きつつ、埼玉の密林こと慶應志木高校に進学しました。

 

中学で敵わなかったライバル達を相手にジャイアントキリングを起こそうと自分に言い聞かせ、毎朝5:30発の電車に揺られ、懸命に練習しました。その結果、最後の夏の大会では例年以上に勝ち進むことに成功しました。

 

そして現在は目標であった塾野球部に入ることができ、毎日が充実していて僕は幸せ者だと感じています。周りのレベルは僕の野球人生の中では断トツで高いですが、今ある初心を忘れず神宮でプレーすることを目標に日々努力していきます。応援、よろしくお願い致します。

 

19.高3夏の大会でバントを試みる私 井上

僕が誇れるものを手当たり次第探した結果、「俺のプレースタイル」しか見当たりませんでした。

高校1年生の冬でした。監督から「お前、振らない方がいいんじゃねーの?」と言われ、僕の高校野球は想像とはまったく逆方向に進んでいきました。それからというもの、毎回の試合の9割9分の打席でバント、バント、バント。ひどい時には相手校の監督が「サード!!こいつはバントしかねーんだからもっと前だよ!」と選手に怒っているほどでした。因みにその試合では5打席で4つのセーフティバントを決めました笑。志木高の同期に「スーパースモールベースボール」と煽られることもしばしばです。

 

しかし、3年間で野球の新たな可能性を見出したような気がします。そんな僕なので今は打撃練習に苦戦していますが、いつかは先輩方のような強い打撃ができるようにします。神宮球場で持ち味を使って暴れられるように頑張りますので、応援の程、よろしくお願い致します。

 

(1年・内野手・井上圭/慶應志木高校出身)

はじめまして!

商学部1年の石﨑経浩です。

広島県立祇園北高校出身の捕手です。

 

僕は一年間の自宅浪人生活を経て、慶應義塾大学に入学しました。自宅浪人は人と話す機会がほぼなく本当につらく、第一志望であった東京の某国立大学には受かりませんでしたが、僕なりに妥協せず頑張り、いろんな人に支えられたあの一年間は今となっては宝物です。

 

ここからは僕が慶應で野球部に入ったきっかけを話したいと思います。

思い当たるきっかけは3つあります。

1つはもともと小さいころから慶應で野球をやりたいなーと思っていたことで、2つ目は、高校最後の夏の大会の時にマツダスタジアムで広陵高校と大観衆の中試合をし、もう一度あんな大観衆の中試合をしたいと思ったことです。負けはしましたが、純粋にチーム一丸となり試合ができたことが本当に楽しかったです。3つ目は、高校3年時の監督が僕の背中を押してくれたことです。監督がいなければ勇気が出ず、一歩がふみ出せなかったかもしれません。

 

たくさんの人のおかげで、僕は今こうして慶應で野球ができています。まだまだ実戦感覚は戻りませんが神宮で活躍する姿を見せることでお世話になった人に恩返しをしようと思います。そのための努力は惜しまないのでこれからよろしくお願いします。

 

13.母校の写真 石﨑

「俺の高校自慢」

 

僕の母校、祇園北高校はとても校則が厳しく、坊主の野球部でも頭髪検査に引っかかるほどです。さらに、先生によっては爪の検査で爪の白い部分が出ていればアウトというように、出していけばきりがないほどこのような厳しいストーリーはいっぱいあります。ここで終わればただ校則の厳しいつまらない学校というだけです。(僕も高校時代はそう思っていましたが…。)

 

ですが、祇園北には誇れるものが少ないですがあります。それは、超有名人の出身校ということです。その有名人とは、あの大女優の綾瀬はるかさんです。ここでは書きませんが、綾瀬はるかさんの高校時代の様子などいろいろ聞くことができました。途中から、堀越学園に転校してしまいましたが、同じ学校で三年間を過ごせたことが僕は本当にうれしいです。

そして僕も、綾瀬はるかさんほどのBIGな人にはなれないかもしれませんが、それに少しでも近づけるように、そして神宮という舞台で活躍できるように人一倍頑張っていきます。

 

(1年・捕手・石﨑経浩/祇園北高校出身)

はじめまして。

商学部1年の原田匠です。

神奈川県の慶應義塾高校出身で、ポジションは投手です。

 

僕が野球を始めたきっかけは、友達からの誘いでした。その友達に連れられて、地元の野球チームに体験をしに行きました。最初は全然楽しくなく辞めるつもりでいましたが、練習をしているうちに、段々と楽しくなっていきました。あの時、友達が野球に誘ってくれなかったら今の僕はいません。

 

それからずっと野球漬けの生活を送ってきたものの、中学の時はいい結果が残せず、なかなか高校が決まりませんでした。そんな時、ご縁もあってOBの方に慶應を勧めていただき、慶應を目指すことになりました。そして無事、合格することができました。僕に慶應という選択肢を与えてくれた恩師には本当に感謝しています。正直、今僕が素晴らしい環境の中で野球をできていることも、奇跡だと思っています。

 

高校では、同じ目標に向かって切磋琢磨できる多くの仲間に出会いました。背番号1を背負い迎えた高3の夏、甲子園を目指していた僕ら塾高野球部は、桐光学園相手に1-2と惜敗してしまいました。最後の夏は思うような結果が残せず、悔いが残る負け方をしたので、大学ではその悔いを晴らし優勝に少しでも貢献できるよう、日々精進していきたいです。

 

今まで支えてくれた家族やお世話になった方々に恩返しするためにも神宮で活躍します。

 

10.雪 原田匠

「俺の地元?」

 

 

通っていた高校は神奈川ですが、僕の地元は大阪です。

父の仕事の関係で、兵庫や宮城にも住んだことがあります。しかし、実は僕には帰省先がもう一つあります。それは、石川県です。

なぜかというと、僕が高校に入ると同時に両親が石川に引っ越したためです。

 

毎年正月に帰省して感じることは、石川県は神奈川と比べ物にならないほど雪が降るということです。上の写真は、帰省した時に実際にとったものです。石川県、特に加賀百万石の城下町として発展した金沢には観光名所もたくさんあるので、機会があれば帰省した際に訪れたいと思います。

 

最近北陸新幹線が開通したこともあり、両親も気軽に東京に来ることができるようになりました。神宮で活躍する姿を早く見せることができるように頑張りたいと思います。

 

(1年・投手・原田匠/慶應義塾高校出身)

はじめまして。

総合政策学部1年の内田蓮です。

三重県の三重高校出身、ポジションは内野手です。

 

私は中学生の頃に、当時所属していた知多リトルシニア全員でナゴヤドームの早慶戦を観に行きました。大学野球のことを何も知らない私にとって、慶應義塾や早稲田は、名前を聞いた事があるかな…くらいでした。

 

しかし、ナゴヤドームに入ると同時に、体全体が震えたったのを覚えています。情熱的かつ紳士的な両軍選手のプレー。子供から大人までみんなが右手を高々と上げ、歌い励まし合う、エール交換。今にも踊り出してしまいそうな、応援の数々。一試合の中にこれだけ魅力が詰まったものがあるのかと、信じられない気持ちで、いつのまにか早慶戦の虜になっていました。

 

また、シニアの会長が慶應義塾出身ということもあり、話を色々聞いていくうちに、「絶対慶應で野球をするんだ!」という思いが強くなっていきました。

とは言いつつも、進学した先は慶應義塾高校ではなく、三重県にある三重高校でした。やはりまだ中学生の私には、勉強への意欲が野球の意欲と比例していなかったようです…

 

だからこそ高校時代は文武両道を目標に掲げ、”大学は慶應へ”と考えていましたが、部活動もかなり忙しく、なかなか勉強面では厳しいものがありました。しかし、どちらもコツコツ行ってきた結果、甲子園に3度出場することができ、最後の夏には、甲子園準優勝まで勝ち上がることができました。そして、大きな目標であった慶應義塾の門を叩くことになりました。

 

今の私があるのも高校の先生、監督のご指導、また友人の支えがあったからだと身にしみて感じております。本当にありがとうございました。

何より、今まで私を育ててくれた両親、祖父母に恩返しをするため、野球も勉強も一生懸命取り組み、神宮球場、早慶戦の舞台で一日も早く活躍できるように頑張ります!そして、絶対に日本一になります。

 

 

「俺の高校野球部の名物練習」をご紹介いたします。

毎年、冬の練習時期になると学校から約5キロ離れた、松尾神社まで部員全員で走ります。(25分というタイムリミットあり!)

21.松尾神社 内田

そして到着すると、340段もの石階段、その参道階段に奉納された50基にも及ぶ鳥居をくぐり上がりきります。これが片道なのですが、これだけでも足は悲鳴を挙げ、心臓が潰れそうになります…そこから、いわゆる”激坂”を一気に駆け下ります。ここで多くの人が足をつってしまうんです。(笑)

そしてようやく1周が終わるのですが、多い時には10周します!

 

もうみんな死に物狂いで走っていたのを思い出しますね。しかし、この練習があったからこそ、体力的にも精神的にも強くなれたのだと思います。

三重高野球部伝統の「マツオ」をこれからも受け継いでいって欲しいです!

以上、内田蓮でした!

 

(1年・内野手・内田蓮/三重高校出身)

はじめまして。

法学部政治学科1年の小田悠太郎です。

慶應義塾湘南藤沢高校出身で、ポジションはキャッチャーです。

 

僕は幼稚園の年少から小学校の3年まで、野球がほとんど普及していない海外の国で暮らしていたため、野球を本格的に始めたのは帰国した小学校4年生の頃でした。

それまでは、野球も少しやっていましたが、空手やサッカー、テニスなど他のスポーツも満遍なくやっていました。しかし、帰国してから親の薦めもあって中学校受験の勉強をすることになったので、時間の関係でどれか1つのスポーツしかやることが出来なくなりました。

 

僕は体を動かすのが好きなので、絶対になにかしらのスポーツはやりたいと思っていました。そこで、どのスポーツをやろうか考えていた時に、自分が今までやってきたスポーツの中で野球が一番楽しいと感じたので、野球を今後続けていこうと思いました。

 

僕は上でも述べたように、野球が楽しく、なるべく長くやっていきたいと考えており、それがしやすい学校で、かつ雰囲気も気に入ったため、中学受験をし慶應義塾湘南藤沢中学に入学しました。その後、中学、高校の6年間、慶應義塾湘南藤沢で野球を行い、小学生の時に野球に対して感じていたことがほとんど変わらなかったので、大学の野球部に入部することを決めました。

 

これから4年間は、自分のためだけではなく、今までお世話になった人に感謝の気持ちを伝えるためにも、神宮で活躍します。

 

 

14.俺の趣味 小田

 

 

「俺の趣味」

 

僕は漫画を読むことが好きで、野球漫画だけではなく、色々なジャンルの漫画を読んでいます。その中で一番好きなのは、王道と言われるかもしれないが、『ワンピース』です。この写真には、『ワンピース』のキャラクターであるワイパーのフィギュアが写っています。この写真を選んだ理由は、『ワンピース』の中でワイパーが登場する空島編が個人的に一番好きだからです。この空島編の過去の話はとても感動的であり、『ワンピース』という作品をより好きになるきっかけになりました。

 

(1年・捕手・小田悠太郎/慶應湘南藤沢高校出身)

はじめまして。

法学部政治学科1年の越智大純です。

香川県の高松高校出身で、ポジションはピッチャーです。

 

僕は、父、越智宣夫(H5年卒OB)の影響もあり、小学校3年生で野球を始めた時から大学野球は慶應義塾大学でやると決めて、勉強、野球ともに頑張ってきました。

その結果、この春に夢を現実のものとすることができましたが、これまで支えてくださった家族、先生方のおかげだと思っております。この場を借りて感謝の意を伝えたいと思います。

 

さて、僕がこの野球部に入って最も強く感じたことは、練習の自由度がかなり高いことです。

1年生も練習ができますし、チャンスもあります。やる気があれば、いくらでも自分の練習ができます。

しかし、言い換えれば、練習を妥協することも可能である、ということです。

自分に負けず、この4年間をやり抜き、神宮で高松高校のアナウンスを流してみせます。

応援よろしくお願いします!!!

 

4.香川県の某公立高校の食堂にある、セルフうどん湯がき 越智

“香川県の某公立高校の食堂にある、セルフうどん湯がき”

 

「俺の地元PR」

ところで、香川県出身というとなぜか「ど田舎」だとか、「うどんしかない」だとか、「パスポートないと入れない」だとか、挙句の果てには「TVつながっているの?」・・・

ことごとくバカにされてしまうので少しは香川県の魅力を書こうと思います!

 

香川県といえば・・・やっぱりうどんでしょう!(上に書いているのはおいといて・・・)

実はコンビニの数よりうどん屋の数のほうが多いんです!(コンビニ408店舗-うどん屋630軒)(都道府県別統計とランキングで見る県民性 うどん屋店舗数、都道府県データランキング 『コンビニエンスストア』より)

特徴としては、コシが強いことと、表面がつるつるしているので、のど越しがよいことです。

 

こちらに来て同級生に言われてびっくりしたのが、あつあつの出汁に入れると、うどんがふやけてしまって柔らかくなるという話でした。もちろん他の温かいうどんもおいしいですが、香川には釜揚げうどんというものがあり、簡単に言うと、熱いざるうどんで、熱湯を張った桶の中にうどんを入れておいて、これまた温かい出汁醤油の中にそのうどんをとっていっきにすする料理です。それでも最後の一本までしっかりうどんを楽しめます。

あと、香川のうどん屋さんには、半熟卵天なるものや、おでんが置かれています。ぜひ一度香川県にうどんを食べに来てください!

 

うどんの話だけで長々としゃべってしまったのでここらへんにしておきます!

(ほ、他に書くことがないからじゃないですよ!汗)

 

(1年・投手・越智大純/高松高校出身)

初めまして。

商学部1年の春日井翔陽です。

慶應義塾高校出身で、ポジションは外野手です。

 

僕はアメリカに住んでいたことがあり、野球の母国で実際にプレーできたことが今、野球を続けられている1番の理由だと思います。 高校時代は3年生になるまではベンチ入りも出来ず、それに加えて最後の夏の大会前に不振に陥りベンチを外れ、野球人生もここまでかなと思った時期もありました。

 

しかし、そんな僕にたくさんの仲間たちが言葉をかけてくれて、ここで終わったら一生悔いが残るなと思い、大学野球の世界でもう一度勝負すると決めました。

 

34.千里の道も一歩から 春日井

 

「俺のことわざ」

千里の道も一歩から。 どんなに天才と呼ばれる選手でも最初は何もできない。 それを始めて少し経ってからが勝負の分かれ目で、その後の人生が変わります。 僕は小学校3年生から野球を始めて、ここまでたくさんの経験を積み、何度も失敗し、時には上手く行き、多くの人に助けられてきました。

 

これらの小さなことの積み重ねが今の僕です。 これからの残り少ない時間をただ進み続けるのではなく、常に次の目標を持ち、さらにレベルアップできるように頑張ります。

 

(1年・外野手・春日井翔陽/慶應義塾高校出身)

はじめまして。

法学部政治学科1年の長谷川晴哉です。

熊本県立八代高校出身、ポジションはキャッチャーです。

 

私は、火の国熊本に生まれました。熊本と言われて皆さんが思い浮かべるものといえば、

阿蘇山や、熊本城、馬刺し、くまモン、い草などでしょう。熊本県の大部分は、海や山に囲まれた自然豊かなところです。言い換えれば、田舎です。この田舎に生まれ、育った私は、心も顔も田舎に染まってしまいました。

 

そんな私が大都会にでて慶應義塾大学へ進学することを選んだのは、大学の頂点に立ちたいという思いからです。どんなに、他人に勉強やルックスで負けていたとしても、自分の大好きな野球だけは負けたくありません!だから、私は大学野球トップクラスに位置する塾野球部を選びました。

 

1年生は互いに切磋琢磨して練習に励んでいます。友でありライバルでもあるこの仲間たちと頑張っていきたいと思います。そして、1日でも早くレギュラーの座を勝ち取り、自分たちの手で日本一をつかんでみせます。

私、肥後もっこすの応援をよろしくお願い致します!

 

 

長谷川

 

「俺の宝物」

これは、八代高校野球部のOB会の人から頂いたものです。高校時代、夏の大会を間近に控えていた私たちは、一人一つずつボールを受けとりました。その際、OB会長から「このボールを一生の宝にしてください。」と言われました。

 

私は、当時から多くの人に支えられ野球をしていました。支えられているということに対して感謝の気持ちを忘れてはいけない、そう思い、私の信条である「感謝」という言葉を書きました。今では、このボールは私にとってかけがえのない一生の宝です。この感謝の気持ちをプレーで示すために、これからも頑張りたいと思います。

 

(1年・捕手・長谷川晴哉/八代高校出身)

はじめまして。

法学部政治学科1年の高木健輔です。

慶應志木高校出身で、ポジションはファーストです。

 

出身高校は志木高ですが、生まれは長野県で、中学時代まで長野県で過ごしていました。そんな僕がこの慶應義塾で野球をやりたいと思ったきっかけは、中学1年生の冬に当時所属していたシニアの監督にあるスポーツ新聞の記事を見せてもらったことでした。

 

その記事には、僕の地元である長野県から慶應義塾高校に合格し、野球部に入部する2人の先輩、佐々木駿さん(3年・内野手/慶應義塾高校出身)舟波凌さん(3年・外野手/慶應義塾高校出身)のことについて書かれていました。これを見て、「近くのチームから慶應の野球部に入るなんてすごい!俺も慶應で野球がしたい!」と思い、今に至ります。

 

2人の先輩をはじめ、野球も人間性もレベルの高い先輩・同期と素晴らしい環境で野球ができること、これだけ幸せなことは無いと思います。

そんなレベルの高い中でも結果を残し、神宮を沸かせられるような選手になるべく、努力していきます!

 

24.慶應義塾志木高校 高木

最後に少し、「俺の高校自慢!」ということで、志木高のことについて語らせていただきます。志木高出身は変人が多いという噂を耳にしますが(笑)、それはともかく、志木高はとても良い学校なんです!個性的な先生達が繰り広げる授業、どこまでも自由な校風など志木高の魅力はここでは語りきれないほどあります。そんな志木高では、野球部の仲間をはじめ、多くの素晴らしい仲間を得ることができました。

 

こうした仲間の期待にも応えられるように日々努力していきますので、応援よろしくお願い致します!

 

(1年・内野手・高木健輔/慶應志木高校出身)

はじめまして。

慶應義塾高校出身、商学部1年の三枝遼太郎です。

ポジションはキャッチャーです。

 

僕は、幼稚園の頃、園長先生と毎日のように二人きりで遊びで野球をやっていたのがきっかけで、小学校2年の時に少年野球チームに入り、野球を始めました。

僕の少年野球チームでは、小学校6年になると横浜ベイスターズJr.のセレクションを受けるのが恒例で、僕も受けに行きました。受かるはずがないと思い続けていましたが、気付いた時にはなぜかメンバーの18人のうちに選ばれていました。他の選ばれたメンバーは途轍もない選手ばかりで、他の選手のプレーをみて刺激を受ける毎日でした。

 

この後、元々は中学校の野球部で野球を続けようと考えていたのですが、ベイスターズJr.の仲間の影響を受け、レベルの高さを求め、数人と一緒に横浜泉シニアに入団しました。良いメンバーが集まった事もあって中学3年の春に全国大会で3位になり、そのおかげで慶應義塾高校の推薦入試に合格する事が出来ました。

 

高校では、野球漬けの毎日が待っていると思っていました。しかし現実はそうではなく、僕の頭の悪さが欠点となり、高校球児がOFFの日に塾に通うという思いもしない生活が待っていました。毎年留年との戦いでしたが、なんとか3年で卒業する事ができました。

 

野球では3年間1度も甲子園には行く事が出来ず悔しい思いをしましたが、高校野球は一生の思い出になりました。

 

今思い返すと、ベイスターズJr.に選ばれた事が大きく僕の人生を変えました。落ちていたら中学校の野球部に入り、公立の高校を受験し、平凡な生活になっていたと思います。今まで関わってきた方々に恩返し出来るように、神宮で活躍したいと思います。

 

15.俺の地元 三枝

「俺の地元」

地方から来ている選手が多い中、僕は神奈川県横浜市出身です。

AOなどで実力のある選手が地方からたくさん入ってくるので、神奈川県民として負けない様に頑張りたいと思います。

 

(1年・捕手・三枝遼太郎/慶應義塾高校出身)