はじめまして。
法学部政治学科1年の越智大純です。
香川県の高松高校出身で、ポジションはピッチャーです。
僕は、父、越智宣夫(H5年卒OB)の影響もあり、小学校3年生で野球を始めた時から大学野球は慶應義塾大学でやると決めて、勉強、野球ともに頑張ってきました。
その結果、この春に夢を現実のものとすることができましたが、これまで支えてくださった家族、先生方のおかげだと思っております。この場を借りて感謝の意を伝えたいと思います。
さて、僕がこの野球部に入って最も強く感じたことは、練習の自由度がかなり高いことです。
1年生も練習ができますし、チャンスもあります。やる気があれば、いくらでも自分の練習ができます。
しかし、言い換えれば、練習を妥協することも可能である、ということです。
自分に負けず、この4年間をやり抜き、神宮で高松高校のアナウンスを流してみせます。
応援よろしくお願いします!!!
“香川県の某公立高校の食堂にある、セルフうどん湯がき”
「俺の地元PR」
ところで、香川県出身というとなぜか「ど田舎」だとか、「うどんしかない」だとか、「パスポートないと入れない」だとか、挙句の果てには「TVつながっているの?」・・・
ことごとくバカにされてしまうので少しは香川県の魅力を書こうと思います!
香川県といえば・・・やっぱりうどんでしょう!(上に書いているのはおいといて・・・)
実はコンビニの数よりうどん屋の数のほうが多いんです!(コンビニ408店舗-うどん屋630軒)(都道府県別統計とランキングで見る県民性 うどん屋店舗数、都道府県データランキング 『コンビニエンスストア』より)
特徴としては、コシが強いことと、表面がつるつるしているので、のど越しがよいことです。
こちらに来て同級生に言われてびっくりしたのが、あつあつの出汁に入れると、うどんがふやけてしまって柔らかくなるという話でした。もちろん他の温かいうどんもおいしいですが、香川には釜揚げうどんというものがあり、簡単に言うと、熱いざるうどんで、熱湯を張った桶の中にうどんを入れておいて、これまた温かい出汁醤油の中にそのうどんをとっていっきにすする料理です。それでも最後の一本までしっかりうどんを楽しめます。
あと、香川のうどん屋さんには、半熟卵天なるものや、おでんが置かれています。ぜひ一度香川県にうどんを食べに来てください!
うどんの話だけで長々としゃべってしまったのでここらへんにしておきます!
(ほ、他に書くことがないからじゃないですよ!汗)
(1年・投手・越智大純/高松高校出身)
初めまして。
商学部1年の春日井翔陽です。
慶應義塾高校出身で、ポジションは外野手です。
僕はアメリカに住んでいたことがあり、野球の母国で実際にプレーできたことが今、野球を続けられている1番の理由だと思います。 高校時代は3年生になるまではベンチ入りも出来ず、それに加えて最後の夏の大会前に不振に陥りベンチを外れ、野球人生もここまでかなと思った時期もありました。
しかし、そんな僕にたくさんの仲間たちが言葉をかけてくれて、ここで終わったら一生悔いが残るなと思い、大学野球の世界でもう一度勝負すると決めました。
「俺のことわざ」
千里の道も一歩から。 どんなに天才と呼ばれる選手でも最初は何もできない。 それを始めて少し経ってからが勝負の分かれ目で、その後の人生が変わります。 僕は小学校3年生から野球を始めて、ここまでたくさんの経験を積み、何度も失敗し、時には上手く行き、多くの人に助けられてきました。
これらの小さなことの積み重ねが今の僕です。 これからの残り少ない時間をただ進み続けるのではなく、常に次の目標を持ち、さらにレベルアップできるように頑張ります。
(1年・外野手・春日井翔陽/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
法学部政治学科1年の長谷川晴哉です。
熊本県立八代高校出身、ポジションはキャッチャーです。
私は、火の国熊本に生まれました。熊本と言われて皆さんが思い浮かべるものといえば、
阿蘇山や、熊本城、馬刺し、くまモン、い草などでしょう。熊本県の大部分は、海や山に囲まれた自然豊かなところです。言い換えれば、田舎です。この田舎に生まれ、育った私は、心も顔も田舎に染まってしまいました。
そんな私が大都会にでて慶應義塾大学へ進学することを選んだのは、大学の頂点に立ちたいという思いからです。どんなに、他人に勉強やルックスで負けていたとしても、自分の大好きな野球だけは負けたくありません!だから、私は大学野球トップクラスに位置する塾野球部を選びました。
1年生は互いに切磋琢磨して練習に励んでいます。友でありライバルでもあるこの仲間たちと頑張っていきたいと思います。そして、1日でも早くレギュラーの座を勝ち取り、自分たちの手で日本一をつかんでみせます。
私、肥後もっこすの応援をよろしくお願い致します!
「俺の宝物」
これは、八代高校野球部のOB会の人から頂いたものです。高校時代、夏の大会を間近に控えていた私たちは、一人一つずつボールを受けとりました。その際、OB会長から「このボールを一生の宝にしてください。」と言われました。
私は、当時から多くの人に支えられ野球をしていました。支えられているということに対して感謝の気持ちを忘れてはいけない、そう思い、私の信条である「感謝」という言葉を書きました。今では、このボールは私にとってかけがえのない一生の宝です。この感謝の気持ちをプレーで示すために、これからも頑張りたいと思います。
(1年・捕手・長谷川晴哉/八代高校出身)