東京六大学野球を応援する公式Webコンテンツ TOKYOROCKS!2015

はじめまして。

法学部政治学科1年の高木健輔です。

慶應志木高校出身で、ポジションはファーストです。

 

出身高校は志木高ですが、生まれは長野県で、中学時代まで長野県で過ごしていました。そんな僕がこの慶應義塾で野球をやりたいと思ったきっかけは、中学1年生の冬に当時所属していたシニアの監督にあるスポーツ新聞の記事を見せてもらったことでした。

 

その記事には、僕の地元である長野県から慶應義塾高校に合格し、野球部に入部する2人の先輩、佐々木駿さん(3年・内野手/慶應義塾高校出身)舟波凌さん(3年・外野手/慶應義塾高校出身)のことについて書かれていました。これを見て、「近くのチームから慶應の野球部に入るなんてすごい!俺も慶應で野球がしたい!」と思い、今に至ります。

 

2人の先輩をはじめ、野球も人間性もレベルの高い先輩・同期と素晴らしい環境で野球ができること、これだけ幸せなことは無いと思います。

そんなレベルの高い中でも結果を残し、神宮を沸かせられるような選手になるべく、努力していきます!

 

24.慶應義塾志木高校 高木

最後に少し、「俺の高校自慢!」ということで、志木高のことについて語らせていただきます。志木高出身は変人が多いという噂を耳にしますが(笑)、それはともかく、志木高はとても良い学校なんです!個性的な先生達が繰り広げる授業、どこまでも自由な校風など志木高の魅力はここでは語りきれないほどあります。そんな志木高では、野球部の仲間をはじめ、多くの素晴らしい仲間を得ることができました。

 

こうした仲間の期待にも応えられるように日々努力していきますので、応援よろしくお願い致します!

 

(1年・内野手・高木健輔/慶應志木高校出身)

はじめまして。

慶應義塾高校出身、商学部1年の三枝遼太郎です。

ポジションはキャッチャーです。

 

僕は、幼稚園の頃、園長先生と毎日のように二人きりで遊びで野球をやっていたのがきっかけで、小学校2年の時に少年野球チームに入り、野球を始めました。

僕の少年野球チームでは、小学校6年になると横浜ベイスターズJr.のセレクションを受けるのが恒例で、僕も受けに行きました。受かるはずがないと思い続けていましたが、気付いた時にはなぜかメンバーの18人のうちに選ばれていました。他の選ばれたメンバーは途轍もない選手ばかりで、他の選手のプレーをみて刺激を受ける毎日でした。

 

この後、元々は中学校の野球部で野球を続けようと考えていたのですが、ベイスターズJr.の仲間の影響を受け、レベルの高さを求め、数人と一緒に横浜泉シニアに入団しました。良いメンバーが集まった事もあって中学3年の春に全国大会で3位になり、そのおかげで慶應義塾高校の推薦入試に合格する事が出来ました。

 

高校では、野球漬けの毎日が待っていると思っていました。しかし現実はそうではなく、僕の頭の悪さが欠点となり、高校球児がOFFの日に塾に通うという思いもしない生活が待っていました。毎年留年との戦いでしたが、なんとか3年で卒業する事ができました。

 

野球では3年間1度も甲子園には行く事が出来ず悔しい思いをしましたが、高校野球は一生の思い出になりました。

 

今思い返すと、ベイスターズJr.に選ばれた事が大きく僕の人生を変えました。落ちていたら中学校の野球部に入り、公立の高校を受験し、平凡な生活になっていたと思います。今まで関わってきた方々に恩返し出来るように、神宮で活躍したいと思います。

 

15.俺の地元 三枝

「俺の地元」

地方から来ている選手が多い中、僕は神奈川県横浜市出身です。

AOなどで実力のある選手が地方からたくさん入ってくるので、神奈川県民として負けない様に頑張りたいと思います。

 

(1年・捕手・三枝遼太郎/慶應義塾高校出身)

はじめまして。

法学部法律学科1年の成井智也です。

千葉県の成田国際高校出身、ポジションはピッチャーです。

 

私は六大学で野球がしたいと思い、二浪の末、慶應義塾大学に合格することが出来ました。合格するのに2年という長い年月を費やしてしまいましたが、この2年間は決して無駄なものではなく、私自身を大きく成長させてくれるものでした。

この受験生活を乗り越えた精神力を生かして、日々の練習に励んでいます。

いずれは神宮球場のマウンドに立てるまでに成長します。

応援よろしくお願い致します。

 

9.お守りのシャープペン 成井

 

「俺の受験生活」

 

私の受験生活の長い歴史を紹介しようと思います。

まず、現役時代は私の尊敬していた先輩の後を追って立教大学を受験しました。

しかし、結果は不合格でした。

「浪人なんか絶対したくない」と思っていた私ですが、今考えてみれば落ちていて良かったとも思えます。

 

ここから浪人生活が始まったわけですが、決して順風満帆なものではありませんでした。

というのも、必死で1年間勉強したはずなのに第一志望だった慶應義塾大学はおろか、滑り止めと考えていた大学にも落ちてしまったのです。

両親からは、浪人は1年までと言われていましたが、必死に頼みこんで2年目もさせてもらえることになりました。

 

そこから私の成績は驚くように伸び、夏には模試でA判定がでるほどでした。

そして2月まで着実に成績を伸ばしていき、結果合格することが出来ました。

私の受験生活は本当に長く、辛いものでしたが、支えてくれた両親や予備校の先生、友達には本当に感謝しています。

 

(1年・投手・成井智也/成田国際高校出身)