はじめまして。
法学部政治学科1年の小田悠太郎です。
慶應義塾湘南藤沢高校出身で、ポジションはキャッチャーです。
僕は幼稚園の年少から小学校の3年まで、野球がほとんど普及していない海外の国で暮らしていたため、野球を本格的に始めたのは帰国した小学校4年生の頃でした。
それまでは、野球も少しやっていましたが、空手やサッカー、テニスなど他のスポーツも満遍なくやっていました。しかし、帰国してから親の薦めもあって中学校受験の勉強をすることになったので、時間の関係でどれか1つのスポーツしかやることが出来なくなりました。
僕は体を動かすのが好きなので、絶対になにかしらのスポーツはやりたいと思っていました。そこで、どのスポーツをやろうか考えていた時に、自分が今までやってきたスポーツの中で野球が一番楽しいと感じたので、野球を今後続けていこうと思いました。
僕は上でも述べたように、野球が楽しく、なるべく長くやっていきたいと考えており、それがしやすい学校で、かつ雰囲気も気に入ったため、中学受験をし慶應義塾湘南藤沢中学に入学しました。その後、中学、高校の6年間、慶應義塾湘南藤沢で野球を行い、小学生の時に野球に対して感じていたことがほとんど変わらなかったので、大学の野球部に入部することを決めました。
これから4年間は、自分のためだけではなく、今までお世話になった人に感謝の気持ちを伝えるためにも、神宮で活躍します。
「俺の趣味」
僕は漫画を読むことが好きで、野球漫画だけではなく、色々なジャンルの漫画を読んでいます。その中で一番好きなのは、王道と言われるかもしれないが、『ワンピース』です。この写真には、『ワンピース』のキャラクターであるワイパーのフィギュアが写っています。この写真を選んだ理由は、『ワンピース』の中でワイパーが登場する空島編が個人的に一番好きだからです。この空島編の過去の話はとても感動的であり、『ワンピース』という作品をより好きになるきっかけになりました。
(1年・捕手・小田悠太郎/慶應湘南藤沢高校出身)
はじめまして。
法学部政治学科1年の越智大純です。
香川県の高松高校出身で、ポジションはピッチャーです。
僕は、父、越智宣夫(H5年卒OB)の影響もあり、小学校3年生で野球を始めた時から大学野球は慶應義塾大学でやると決めて、勉強、野球ともに頑張ってきました。
その結果、この春に夢を現実のものとすることができましたが、これまで支えてくださった家族、先生方のおかげだと思っております。この場を借りて感謝の意を伝えたいと思います。
さて、僕がこの野球部に入って最も強く感じたことは、練習の自由度がかなり高いことです。
1年生も練習ができますし、チャンスもあります。やる気があれば、いくらでも自分の練習ができます。
しかし、言い換えれば、練習を妥協することも可能である、ということです。
自分に負けず、この4年間をやり抜き、神宮で高松高校のアナウンスを流してみせます。
応援よろしくお願いします!!!
“香川県の某公立高校の食堂にある、セルフうどん湯がき”
「俺の地元PR」
ところで、香川県出身というとなぜか「ど田舎」だとか、「うどんしかない」だとか、「パスポートないと入れない」だとか、挙句の果てには「TVつながっているの?」・・・
ことごとくバカにされてしまうので少しは香川県の魅力を書こうと思います!
香川県といえば・・・やっぱりうどんでしょう!(上に書いているのはおいといて・・・)
実はコンビニの数よりうどん屋の数のほうが多いんです!(コンビニ408店舗-うどん屋630軒)(都道府県別統計とランキングで見る県民性 うどん屋店舗数、都道府県データランキング 『コンビニエンスストア』より)
特徴としては、コシが強いことと、表面がつるつるしているので、のど越しがよいことです。
こちらに来て同級生に言われてびっくりしたのが、あつあつの出汁に入れると、うどんがふやけてしまって柔らかくなるという話でした。もちろん他の温かいうどんもおいしいですが、香川には釜揚げうどんというものがあり、簡単に言うと、熱いざるうどんで、熱湯を張った桶の中にうどんを入れておいて、これまた温かい出汁醤油の中にそのうどんをとっていっきにすする料理です。それでも最後の一本までしっかりうどんを楽しめます。
あと、香川のうどん屋さんには、半熟卵天なるものや、おでんが置かれています。ぜひ一度香川県にうどんを食べに来てください!
うどんの話だけで長々としゃべってしまったのでここらへんにしておきます!
(ほ、他に書くことがないからじゃないですよ!汗)
(1年・投手・越智大純/高松高校出身)
初めまして。
商学部1年の春日井翔陽です。
慶應義塾高校出身で、ポジションは外野手です。
僕はアメリカに住んでいたことがあり、野球の母国で実際にプレーできたことが今、野球を続けられている1番の理由だと思います。 高校時代は3年生になるまではベンチ入りも出来ず、それに加えて最後の夏の大会前に不振に陥りベンチを外れ、野球人生もここまでかなと思った時期もありました。
しかし、そんな僕にたくさんの仲間たちが言葉をかけてくれて、ここで終わったら一生悔いが残るなと思い、大学野球の世界でもう一度勝負すると決めました。
「俺のことわざ」
千里の道も一歩から。 どんなに天才と呼ばれる選手でも最初は何もできない。 それを始めて少し経ってからが勝負の分かれ目で、その後の人生が変わります。 僕は小学校3年生から野球を始めて、ここまでたくさんの経験を積み、何度も失敗し、時には上手く行き、多くの人に助けられてきました。
これらの小さなことの積み重ねが今の僕です。 これからの残り少ない時間をただ進み続けるのではなく、常に次の目標を持ち、さらにレベルアップできるように頑張ります。
(1年・外野手・春日井翔陽/慶應義塾高校出身)