はじめまして!
商学部1年の石﨑経浩です。
広島県立祇園北高校出身の捕手です。
僕は一年間の自宅浪人生活を経て、慶應義塾大学に入学しました。自宅浪人は人と話す機会がほぼなく本当につらく、第一志望であった東京の某国立大学には受かりませんでしたが、僕なりに妥協せず頑張り、いろんな人に支えられたあの一年間は今となっては宝物です。
ここからは僕が慶應で野球部に入ったきっかけを話したいと思います。
思い当たるきっかけは3つあります。
1つはもともと小さいころから慶應で野球をやりたいなーと思っていたことで、2つ目は、高校最後の夏の大会の時にマツダスタジアムで広陵高校と大観衆の中試合をし、もう一度あんな大観衆の中試合をしたいと思ったことです。負けはしましたが、純粋にチーム一丸となり試合ができたことが本当に楽しかったです。3つ目は、高校3年時の監督が僕の背中を押してくれたことです。監督がいなければ勇気が出ず、一歩がふみ出せなかったかもしれません。
たくさんの人のおかげで、僕は今こうして慶應で野球ができています。まだまだ実戦感覚は戻りませんが神宮で活躍する姿を見せることでお世話になった人に恩返しをしようと思います。そのための努力は惜しまないのでこれからよろしくお願いします。
「俺の高校自慢」
僕の母校、祇園北高校はとても校則が厳しく、坊主の野球部でも頭髪検査に引っかかるほどです。さらに、先生によっては爪の検査で爪の白い部分が出ていればアウトというように、出していけばきりがないほどこのような厳しいストーリーはいっぱいあります。ここで終わればただ校則の厳しいつまらない学校というだけです。(僕も高校時代はそう思っていましたが…。)
ですが、祇園北には誇れるものが少ないですがあります。それは、超有名人の出身校ということです。その有名人とは、あの大女優の綾瀬はるかさんです。ここでは書きませんが、綾瀬はるかさんの高校時代の様子などいろいろ聞くことができました。途中から、堀越学園に転校してしまいましたが、同じ学校で三年間を過ごせたことが僕は本当にうれしいです。
そして僕も、綾瀬はるかさんほどのBIGな人にはなれないかもしれませんが、それに少しでも近づけるように、そして神宮という舞台で活躍できるように人一倍頑張っていきます。
(1年・捕手・石﨑経浩/祇園北高校出身)
はじめまして。
商学部1年の原田匠です。
神奈川県の慶應義塾高校出身で、ポジションは投手です。
僕が野球を始めたきっかけは、友達からの誘いでした。その友達に連れられて、地元の野球チームに体験をしに行きました。最初は全然楽しくなく辞めるつもりでいましたが、練習をしているうちに、段々と楽しくなっていきました。あの時、友達が野球に誘ってくれなかったら今の僕はいません。
それからずっと野球漬けの生活を送ってきたものの、中学の時はいい結果が残せず、なかなか高校が決まりませんでした。そんな時、ご縁もあってOBの方に慶應を勧めていただき、慶應を目指すことになりました。そして無事、合格することができました。僕に慶應という選択肢を与えてくれた恩師には本当に感謝しています。正直、今僕が素晴らしい環境の中で野球をできていることも、奇跡だと思っています。
高校では、同じ目標に向かって切磋琢磨できる多くの仲間に出会いました。背番号1を背負い迎えた高3の夏、甲子園を目指していた僕ら塾高野球部は、桐光学園相手に1-2と惜敗してしまいました。最後の夏は思うような結果が残せず、悔いが残る負け方をしたので、大学ではその悔いを晴らし優勝に少しでも貢献できるよう、日々精進していきたいです。
今まで支えてくれた家族やお世話になった方々に恩返しするためにも神宮で活躍します。
「俺の地元?」
通っていた高校は神奈川ですが、僕の地元は大阪です。
父の仕事の関係で、兵庫や宮城にも住んだことがあります。しかし、実は僕には帰省先がもう一つあります。それは、石川県です。
なぜかというと、僕が高校に入ると同時に両親が石川に引っ越したためです。
毎年正月に帰省して感じることは、石川県は神奈川と比べ物にならないほど雪が降るということです。上の写真は、帰省した時に実際にとったものです。石川県、特に加賀百万石の城下町として発展した金沢には観光名所もたくさんあるので、機会があれば帰省した際に訪れたいと思います。
最近北陸新幹線が開通したこともあり、両親も気軽に東京に来ることができるようになりました。神宮で活躍する姿を早く見せることができるように頑張りたいと思います。
(1年・投手・原田匠/慶應義塾高校出身)
はじめまして。
総合政策学部1年の内田蓮です。
三重県の三重高校出身、ポジションは内野手です。
私は中学生の頃に、当時所属していた知多リトルシニア全員でナゴヤドームの早慶戦を観に行きました。大学野球のことを何も知らない私にとって、慶應義塾や早稲田は、名前を聞いた事があるかな…くらいでした。
しかし、ナゴヤドームに入ると同時に、体全体が震えたったのを覚えています。情熱的かつ紳士的な両軍選手のプレー。子供から大人までみんなが右手を高々と上げ、歌い励まし合う、エール交換。今にも踊り出してしまいそうな、応援の数々。一試合の中にこれだけ魅力が詰まったものがあるのかと、信じられない気持ちで、いつのまにか早慶戦の虜になっていました。
また、シニアの会長が慶應義塾出身ということもあり、話を色々聞いていくうちに、「絶対慶應で野球をするんだ!」という思いが強くなっていきました。
とは言いつつも、進学した先は慶應義塾高校ではなく、三重県にある三重高校でした。やはりまだ中学生の私には、勉強への意欲が野球の意欲と比例していなかったようです…
だからこそ高校時代は文武両道を目標に掲げ、”大学は慶應へ”と考えていましたが、部活動もかなり忙しく、なかなか勉強面では厳しいものがありました。しかし、どちらもコツコツ行ってきた結果、甲子園に3度出場することができ、最後の夏には、甲子園準優勝まで勝ち上がることができました。そして、大きな目標であった慶應義塾の門を叩くことになりました。
今の私があるのも高校の先生、監督のご指導、また友人の支えがあったからだと身にしみて感じております。本当にありがとうございました。
何より、今まで私を育ててくれた両親、祖父母に恩返しをするため、野球も勉強も一生懸命取り組み、神宮球場、早慶戦の舞台で一日も早く活躍できるように頑張ります!そして、絶対に日本一になります。
「俺の高校野球部の名物練習」をご紹介いたします。
毎年、冬の練習時期になると学校から約5キロ離れた、松尾神社まで部員全員で走ります。(25分というタイムリミットあり!)
そして到着すると、340段もの石階段、その参道階段に奉納された50基にも及ぶ鳥居をくぐり上がりきります。これが片道なのですが、これだけでも足は悲鳴を挙げ、心臓が潰れそうになります…そこから、いわゆる”激坂”を一気に駆け下ります。ここで多くの人が足をつってしまうんです。(笑)
そしてようやく1周が終わるのですが、多い時には10周します!
もうみんな死に物狂いで走っていたのを思い出しますね。しかし、この練習があったからこそ、体力的にも精神的にも強くなれたのだと思います。
三重高野球部伝統の「マツオ」をこれからも受け継いでいって欲しいです!
以上、内田蓮でした!
(1年・内野手・内田蓮/三重高校出身)